オシャレさの話

「服に対してそこそこに興味が無いからおしゃれにしようなんて気も湧きやせぬよ」

 

これは家族や友人に自分の服装の野暮ったさについて突っ込まれた時の私のスタンスである。

実際には全く興味が無いわけではないし、雑誌のモデルのようにオシャレになりたい。オシャレしてインスタグラムでイイね!を貰いたい。オシャレしてで珈琲の青山でコーヒーを飲みたい。インスタグラムに載せてイイね!を貰いたい。ミラクルニキのコーデ品評会でイイね!を貰いたい。

 

そんな心に渦巻く承認欲求と比例するかのようにオシャレは難易度が高い。

ファッションとは本当に何が何やら分からないもので、今年の春の流行が同年の秋には時代遅れになるのである。

何故だ。知らない外国人の集団が2年前に決めた色の服を大量に作っているのに半年は待てないのか。

 

ファッション業界に対する不信感や疑問とは裏腹に、こちらも承認欲求の塊を自称する人間。

疑問をゴクリと飲み込むことで得られるちやほやの為に多少の努力はしてみようではないかと書店で私と同年代の女性が表紙になった雑誌を手に取る。

 

そのTシャツの上のキャミソールは物理演算を間違えたのか。

自分の二の腕より太いベルトを付けてどうなる。

前と背後で丈が違うスカートは型紙のミスか。

スーパーに売っていない野菜で作られた色味のない食べ物を食べるな

 

あれやこれやと更年期障害の姑の如くファッション雑誌にヤッカミを付けてつつページを捲っていたらとうとう巻末になってしまった。

 

「こんなんじゃあオシャレにはなれんわな」

 

トホホ…と来月号の付録予告なんかを無視していたら見慣れた言葉が飛び込んできた。

星座占いだ。星座占いなら私も理解出来るぞ、なんてたって高3の時カイジのようなリアクションをしながらテレビの星座占いとYahooのトップページの星座占いを見てその日1日の全ての行動を決めていたから。

 

知り合いのいない飲み会に昔の友達が来た時のような安堵感を覚えながらみずがめ座の欄を読む。

 

「5月のみずがめ座は仕事に対する意欲UP!

ラッキーアイテム ミモレ丈のガウチョパンツ」

 

昔の友人も時を経て変わってしまった。小学生の時は2人で教室の隅で赤虫をコンクリにすり潰していたじゃないか、それがミモレ丈がどうこう言いやがって。オシャレさに殺される。

 

こうしてオシャレさに完敗してしまった私をみずがめ座のアイコンが嘲笑っていた。